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鉛筆の歴史

1.鉛筆の語源

黒鉛(グラファイト)と粘土で出来た芯を木ではさんだ物を日本で「鉛筆」と呼んでいます。英語ではwood cased pencilで、日本では省略してpencilとしています。
Pencilの語源は、もともとラテン語の「ペニシラム(しっぽ)」という意味で、初期の鉛筆の金属の鉛の棒を毛で包んだ筆記具の形がしっぽに似ていたところから名づけられ、定着したと思われます。それはlead pencil(レッドペンシル)と呼ばれていました。

2.鉛筆の芯の歴史

エリサベス王朝時代の1564年に、イギリスのカンバーランド山脈・ボローデル渓谷で、黒鉛(グラファイト)が発見されました。はじめは、その黒鉛をただ棒状にして使っていただけでしたが、鉱脈が掘りつくされてしまい、改良研究が進められました。1795年にはフランスのコンテが、黒鉛と粘土を混合するという現在の基礎となる製法を発明しました。また、焼き固めるだけでなく、混合の割合を変えることによって、芯の濃度が変化するということも発見されました。

3.芯改良の背景

黒鉛の塊(石墨)の発見は、当時苦労して図面や文字を書いていたヨーロッパ社会に大センセーションを巻き起こし、爆発的にヒットしました。値段も高騰し、石墨、つまり黒鉛の塊は貴重品となりました。その後イギリスとフランスで戦争が始まり、イギリスでしか取れない良質の黒鉛が入手出来なくなったフランスは、国を挙げて、代替品として黒鉛の粉と粘土を混ぜて焼く、という製法を発明した訳です。

4.鉛筆の軸の歴史

石墨だけの時代は、細く削った黒鉛の塊を糸や針金を使ったり、木の板で挟んだりして、折れない様に、手が汚れない様にと何かでカバーして使っていたようです。その後、細長い木に四角い溝を切り、四角く削った黒鉛を入れて木で蓋をして、それから丸く削る方法で現在の形の基礎が出来ました。コンテが作ったのも四角い芯を使ったこの方法でした。19世紀の後半に、丸い芯を丸く削った軸板で挟む現代の方法を、アメリカの鉛筆業者が開発しました。これにより、使いやすくコストの安い鉛筆が出来て、世界的に普及したのです。

5.紙巻鉛筆の歴史

アメリカの伝統や歴史に囚われない風土によって、紙巻鉛筆のような画期的な製造法が生まれました。当時も鉛筆に適する木は潤沢にあった訳ではなく、マーキンググラフに使われている様に紙で巻いてむきながら使う紙巻き方式も、木の代替品として19世紀後半には発明されていました。

6.鉛筆の日本での歴史

日本で最古の鉛筆は、徳川家康に献上されて使われたといわれています。現在は、久能山の東照宮に保存されています。
家康は実際にそれを使っていたそうですが、どこで作られどの様にして家康の元に届いたのかはわかっていません。

また、伊達政宗の副葬品としても鉛筆に似たものが発見されています。

7.色鉛筆の歴史

日本最古の色鉛筆は、姫路神社所蔵の古文書に赤鉛筆で書かれた筆跡が残っていますが、赤鉛筆そのものは現存していません。

8.鉛筆工業の歴史

明治になって文明開化が起こり、大量に輸入されました。明治18年(1885年)に25,750グロス、明治38年にはその約10倍が輸入された統計が残っています。
日本での製造は、明治7年(1874年)に伝習生(井口直樹・藤山種広)から学んだ小池卯八郎が鉛筆工場を設立したことから始まりました。その3年後、明治10年(1877年)ドイツの鉛筆を研究し独学で作り方を確立した河原徳右衛門が工場を作りました。明治17年、川原工場門下生の杉江鉦次郎が「大日本鉛筆株式会社」を設立、また明治20年に眞崎仁六が「眞崎鉛筆製作所」を設立し、その後大正14年に真崎大和鉛筆となり、現在の三菱鉛筆となっています。
明治43年「大日本鉛筆株式会社」で技術を学んだ小川作太郎が独立し、現在のトンボ鉛筆の鉛筆作りの基礎を作りました。大正2年(1913年)に小川春之助商店が発足し、現在のトンボ鉛筆となっています。

9.ゴム付鉛筆の発明者

1858年にアメリカ人のハイマン・リップマン氏によってゴム付鉛筆が発明されました。彼はデッサン中に傍に置いた消しゴムがすぐなくなり、それを探すのがめんどうなために、鉛筆に消しゴムをセットすることを思いつきました。既にある2つの商品をくっつけると言うアイデア手法はハイマン法とも言われています。

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