トンボ鉛筆100年史 page 9/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

第1章創立・草創期“進取の気風”が鉛筆を近代筆記具にした1913?1945明治時代(1868~1912)は、日本が近代国家に生まれ変わり、世界の列強国の一員に加わった時代であった。欧米先進国の諸制度や文化を積極的に取り入れ、欧米製品の輸入を開放・促進し、殖産興業を図ったのである。明治維新により、文明開化の世になったことが、鉛筆の製造を促す基礎となった。明治政府は1872(明治5)年、教育令を発し、皆が平等に学ぶ学校制度の確立・普及に力を入れた。それまで使われていた半紙、筆、硯から、ノート、鉛筆、ペンへと、新しく便利な筆記用文房具は、急速な発展を遂げる。そして1913(大正2)年、トンボ鉛筆の前身である小川春之助商店が開業する。明治から大正(1912~1926)に改まって半年後であった。その翌年、第一次世界大戦(1914~1918)が勃発した。戦火に揺れるヨーロッパに代わり、物資の生産拠点となったのが、日本とアメリカの両国だった。世界的に品不足となった影響で、造船業や繊維業、製鉄業などが飛躍的に発展し、日本経済は急成長を遂げた。鉛筆製造業においても、主要生産国・ドイツの参戦により同国鉛筆の輸出が途絶したため、その空白を埋める戦争特需がわき起こり、一転、日本は鉛筆輸出国となった。小川春之助商店にとって、戦争特需は鉛筆メーカーとしての基礎を固める機会となったのは事実である。しかし、輸出景気にあおられることなく、国内需要を重視した春之助は、自由闊達な大正デモクラシーの時流に乗って、数々の鉛筆をヒットさせ、その普及に努めた。しかし、戦争が終わると、過剰な設備投資と在庫の滞留を原因とした戦後恐慌に襲われる。さらに、1923年9月1日に起こった関東大震災により、日本経済は、景気回復の見通しが立たないまま、昭和時代(1926~1989)を迎えることになった。春之助が、事業理念として「品質」を掲げたのは、このような厳しい経済環境のさなかであった。以降、良質な鉛筆づくりをめざして全資源を集中、一貫生産体制を整えて、近代国家建設に資する鉛筆づくりに没頭する。しかし、1937(昭和12)年に日中戦争、1941年には太平洋戦争開戦と、日本は戦時体制に突入、国民にとっても鉛筆業界にとっても苦難の時代へ突入する。9トンボ鉛筆100年史