トンボ鉛筆100年史 page 33/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

日本橋人形町の旧本社高価格にふさわしく、軸木にはファーストクラスのインセンスシダーを厳選し、その美しい木目を生かすために、透明なラッカー塗装を施すなど、丁寧なつくりも話題となった。さらに、ダース箱には当時の新しい素材、ポリスチレン樹脂を用いている。最新素材を鉛筆のケースに利用するという発想は、きわめて斬新なものだった。鉛筆メーカーとしての良心と決意が生み出した傑作、それが「HOMO」だった。第1回新製品発表会1952年夏、第1回「トンボ鉛筆新製品発表会」を東京會舘(千代田区)にて開催する。主役はもちろん国産最高級鉛筆「HOMO」であった。国内最高価格で、最高の性能を持つ「HOMO」をひと目見ようと、東京地区を中心に、多くの文具卸、業界団体、業界新聞などの関係者が会場をぎっしりと埋め尽くした。発表会はお披露目にとどまらず、受注会を兼ねたが、この日だけで約5000グロス(72万本)を販売。これを受け、八郎は、「HOMO」生産体制の大幅な強化を指示するのだった。良質な鉛筆づくりに半生を捧げてきた春之助にとって、「HOMO」の完成、そして発表会の成功は、まさに夢の結晶であった。本社は日本橋人形町1丁目1番地1954年10月、トンボ鉛筆は、“商業の聖地”ともいうべき東京都中央区日本橋人形町1丁目1番地に本社を構える。元は精糖会社が所有していた鉄筋コンクリート造・地上5階建てのビルを新社屋としたのである。このビルは、近代社会の基盤をつくった食と健康を支える精糖業界を経て、戦後の文化国家の基礎となる鉛筆メーカーへと受け継がれ、つねに時代の花形産業の中枢を担うことになる。「日本橋人形町1丁目1番地」は、信用を厚くしただけではなく、人材の採用にも有利に働いた。この年から定期採用を開始したが、第1期の技術者募集に際しては50人もの大卒者が応募し、うち10人が入社している。特約店用ディスプレイ鉛筆削り器40833トンボ鉛筆100年史