トンボ鉛筆100年史 page 27/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

第2章戦後復興と事業多角化1945?19661945(昭和20)年、終戦を迎え、日本は一面の焼け野が原から、奇跡的なスピードをもって立ち上がる。空襲で倉庫1棟を残すのみとなっていたトンボ鉛筆だが、「終わりのない戦争はない」との経営判断から、すでに生産を開始していた。終戦とともに事業再建は一気に加速、戦時中に発令された価格等統制令が続くなか、この年のうちに高級鉛筆を発売し、大ヒットとなった。1950年ごろには同業者の多くも復興を遂げ、品質競争の時代に入るが、折しも朝鮮戦争(1950~1953)が勃発。戦争特需が、日本経済復興の契機となる。1955年ごろには戦前の経済水準にまで持ち直し、さらなる経済成長が始まった。「神武景気」(1955~1957)にわく1956年には、「経済白書」で謳われた「もはや戦後ではない」が流行語となる。好景気の影響から、耐久消費財ブームが起こり、三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)が大衆のあこがれの的となった。消費経済が社会を牽引していく時代になった。トンボ鉛筆は、このころから鉛筆専業メーカーから総合筆記具メーカーへ、事業の多角化を図る。シャープペンシル、ボールペン、マーキングペンなどを次々に発売し、「『書く』を提供するメーカー」に変貌を遂げるのだった。「神武景気」ののち、民間設備投資が景気を牽引し、技術革新による産業構造の変革期となった「岩戸景気」(1958~1961)、東海道新幹線や高速道路などインフラ整備が進んだ「オリンピック景気」(1962~1964)、国際競争力が強化された「いざなぎ景気」(1965~1970)と続き、日本は驚異的な高度経済成長を遂げる。所得水準の向上により、三種の神器は、車(car)、クーラー、カラーテレビの「3C」に取って代わる。戦後の復興期から成長期へと、時代が転換していく間に、トンボ鉛筆を担う世代も交代、さらに事業領域を拡大させていく。27トンボ鉛筆100年史